2009年12月16日水曜日

服の楽しみ〜って、なんだぁっけなんだぁっけ。

 「ファッションは嫌いだ」なるユニクロCEOのコメントで幕を開けた00年代後半。


 まずウェストコーストのセレブリティたちの支持や熱狂を受けて加工デニムやサーフテイストを本願としたブランドが伸長がありました。

 ファッショナブルでありながら“モテ”を内包したスタイルの影響力は、今でも南海沿線から難波へとショッピングに訪れる少しヤンクなファミリーたちの熱気からも明らかですね。


 西海岸繋がりでは、スタンフォードやエールに代表される、クリーンなカレッジものももてはやされ、プレッピー&アイビーの文字が各誌に踊りました。

 想像してみてください。オックスフォードBDにホワイトのカーディガンを合わせてレジメンタイドアップ、チノにローファーといった具合です。


 ただ、ムーブメントはいつも熱されて表層が揮発、塊が残るもの。

 プレッピー&アイビーの船は、本丸というべきNYのラルフローレンに再び行き着きます。パープルレーベル、RRLをはじめ、いずれのラインでも最先端を見せ続けるアイコンが産み出したのは、モードにも接近したティム・ハミルトンやアダム・キメル、3.1フィリップ・リムといったブランドたち。このあたりで、コレクションに出ない展示会を主体とした海外メゾンが現れてきます。

 すっかり不況になった日本でも、カラーやマンド、サイといったクリエイティビティとものづくりを共存させた展示会主体のブランドが服好きの支持を集めるようになります。



 また、“ラルフローレン的”の影響下で、日本では旧き佳きアメカジ、いわゆる「ラギット」なスタイルがこの世の春を謳歌。確かなものづくりを貫き通してきたウエアハウスなどのブランドがシーンの中心に舞い戻る一方で、縫製やディテールにウンチクを求める若者が急増しました。

 シャツの袖をまくってあぁ、縫製甘いね、ってなウンチク第一主義は、ものに込められたクリエイティビティや、着た時のインスピレーションを感じられないから、よりどころを“ディテール”に置いたことに他なりません。

 バックグラウンドを知りすぎたゆえの悲哀。ミーツではそれを「街のおじいちゃん化」と名付け、服を直感的に楽しむことからもっとも遠いスタイルとして問題視しました。シャツにベストにチノにオールデン、それぞれのアイテムは素晴らしいクオリティであるにも関わらず、街にはそんなおじいちゃんばかりになってしまったのです。折からの不況でブランドのアーカイヴ化した街のショップ、そしてセレクトショップの没個性化もファクターのひとつとして考えざるを得ません。



 モードの世界では彗星のごとく現れたエディ・スリマン(ディオール・オム)がシーンを完全に蹂躙。モノトーン&細シルエットのロックでドーリー(人形的)なスタイルは、日本では東京・恵比寿を中心としたブランド群に影響を与えた他、世界中でももてはやされました。しかし日本人体型を無視したエディの服は、関西でははっきり定着せず。ただ、アメ村の各クラブがこぞってロック〜エレクトロを鳴らし、若いショップ店員を熱狂させていたことはひとつ印象的な出来事でした。


 汎米のイデオロギーの終焉は、速やかにモードへと現れました。今、時代はラテンでマスキュリンなテイストや、ロンドンストリート、80sパリ・パンク。流行不在が流行。新しいが新しくない。難しいタイミングになっています。

 そんな状況を踏まえての10年代関西メンズファッション私見はこんな感じでしょうか。

 


◎ローカリティあるセレクトショップの登場

 UA、ビームスに代表されるセレクトショップが商品のラインアップはもちろん、掛かっている音楽、スタッフ配置まで街に合わせた個性を付与しつつある予感。より服への純度を高めていく店も多いかもしれません。同時に、京阪神のショップが再編成されていくでしょう。

 

◎ファストファッションますます隆盛

 来年、心斎橋にHMForever21等が上陸との噂。東京から2年遅れの悲哀。デパートも彼らFF勢を引っ張っているようで、デパートのブランドアーカイヴ化(ブランド目当ての、面ではなく集合体化)はますます進むでしょう。

 当然、カウンターとして、小さく、オーナーの思いが詰まった、個性的なショップが増えるはず。また、純度を高めた直営店が、たくさんのお客さんを集める可能性もあるでしょう。


 

◎モノ系エッセイの次は

 藤原ヒロシ氏に松浦弥太郎氏、ソニア・パーク氏など数多くのアイテムを幅広く見てきた方々による、アイテムと自分とのストーリーを綴った本が昨年より多く出版されています。トレンドに左右されない、それでいて信用のある情報として、それらの“手触り”のある「話」が、ライフスタイルを充実させようとしている人にとって重みを増しているのでしょう。

 でも、そういった数多くのアイテムを扱ってきた“重鎮”しか、モノとの話は紡げないのでしょうか? そんなことはないはず。好き者、数寄者。関西の街で働き、暮らす服好きたちが、Zine(フリーペーパー)やブログといったメディアで、よりリアリティある情報を提供していくのではないでしょうか。


 「距離感」、これがすべてのカルチャーのキーワードかもしれません。

 


◎多極化

 東京・特にスタイリストの時代といえた00年代。そんな巷を行くほどに肌で感じるのですが、男性誌が大量に淘汰されていく中で、素敵なカメラマンやライター、編集者の目は地方に向いています。服に限らず、各地のアイテムや土着の道具、Zineや発信源たる店がどんどん発見されていくのではないでしょうか。

 




まだまだあるけどねぇ。んー。書いててあまり面白くなかったです。だからなんやねんというか。何をえらそにゆうとんねんというか。

結局書くことは、自分はどうあるべきかの確認作業にしかならない。

自分ことを棚にあげて書いたものほど、伝わらないものってないわけで。

 

 

「距離感」、ですね。

あーあ。

 

 

時系列に沿って書いてるわけではありません

事実誤認、思いこみもあるかと思います。ご笑覧いただければ幸甚にて。

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