2016年3月24日木曜日

COPPA100閉店。







 いつも通り料理をお任せで頼んで、十字のテーブルで機嫌良くワインを空かしていた先週末。自家製の野菜やシャルキュトリー、シメは名物のパッケリで腹をさすり、「ごちそうさま」と会計に歩み寄ると、何だか妙に改まったミッキーの顔。

「フジモン、店⋯いったん閉じることにしてんやんか」

 ウソやろミッキー、んなアホな。冷静を装うけれども的確な言葉が出ない。料理の手を止めて南野さんがやってくる。

「せやねん、新しいプロジェクトに関わることになって。10年やったしひとつの区切りやわ」


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 大学を出て、この編集の仕事に就いた時を同じくして開店。10年以上の長きにわたって、公私ともにお世話になってきた東心斎橋[COPPA100]。ミーツの2005年5月号『ほんとは濃い味、好きなんです。』で、パッケリのカルボナーラを取材させてもらって以来、コンパに送別会、お客のアテンドからひとり飲みまで、いつもパブリックでカッコつけさせてくれる場所として通ってきた店だ。

 近年では『KOCHI natural MARKET』にも出店いただき、結婚パーティーのケータリングもお願いする仲で、オーナーシェフの南野さんとカウンターで街や店の話を熱っぽく語り合い酔い痴れた日々は遠いものではない。

 冒頭に書いた先週の時点では6月の予定が、「3月で閉める」と昨日メールがあり、矢も盾もたまらず帰路のホームから踵を返したのだった。


 同じ思いの知った顔がカウンターに並ぶ。重苦しい空気はなく、いつもと変わらないカウンターの風景がそこにあった。彼らによれば、次の展開は「奈良の住宅リノベーションの会社と、コッパの食の提案を加えたチームとして新事業を立ち上げる」とのことだった。メールじゃなくて電話をおくれよ、急すぎるよ、と言ってやろうかとも思っていたのだけれど、10年前から比べて皺が刻まれた顔と、思慮を重ねたであろう語り口を見ていると、SNSやホームページもやらず、最先端のグルメ文脈にも乗らずに「街の店」として営々と繰り返してきた日々が思われて、「このさっぱり去る感じが彼ららしい」と気がすっかり晴れていた。

 深夜2時。別れを惜しむ人がすっかり去って、僕はカメラを取りだしてお店の写真を撮らせてもらった。ファインダーをのぞくたび、一緒に飲んだ友人・知人の幻影が映り込んでくる、働いていた多彩なスタッフが動き回る。最後に撮ったふたりは、やっぱり見慣れた固めの笑顔。でもそれは、オーナーシェフの南野さんと相棒のミッキー、ミナミ版「相棒」の物語の、あまりにも美しいひとつの幕引きなのだった。
 

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 「10回通ってわかることを1回で体験させる店やった。師匠の店を目指して頑張ってきた10年やったなあ」そう南野さんが述懐する時枝和生さんの店[ルーリオ]も先頃店を閉められたという。そういえば、[グランカフェ]や[オンジェム]に、名古着店[RAIN]や[お好み吉田]が入っていた中正ビルもなくなってしまった。そして5月には、これも長い付き合いの鰻谷[シネマティックサルーン]が新たなステップへ進む。

 街が変化をやめないことは仕事柄よくわかっているつもりだけど、学生時分から遊んできた場所が次々と閉店し、提案力のある店と人がミナミや大阪を離れていくこのところの様子を見るにつけて、この半年感じている“転換点”との思いが強くなった。
 
 いつまでも思い出に浸って酒を飲む歳でもないし、これは彼らとの次のクールの始まりと理解しているので、一夜明けた今日はそれほどの感傷はない。でも、長く見続けてきた街が刻々と変わっていくのを正視すると感傷が湧いてくる。

 「思い出が多すぎるねんなぁ、俺は」

 先日、急逝した馴染みに献杯をしてひと息つき、ショートホープに火を付けながらこぼしたお兄ちゃんの言葉が甦る。


 いつもの送り出し、誰も「さよなら」は言わなかった。街と店、お客への愛情に満ちた店[COPPA100]。南野さんとミッキー、本当にお疲れ様でした。そしてこれからもよろしく。








all Text&Photo K.Fujimoto





2016年3月16日水曜日

祭りのあと。






 まずは先週日曜日、『THE ZEN KAI Vol.6』にお越しいただいた皆様に感謝を。
 そして主宰の森田大剛さんはじめ携わるスタッフと出演者、場所を提供いただいた清水寺さんに心より敬意を表します。

 空の碧が雲の白に縁取られ、くっきりそれは注染の布のよう。澄み切った春の日の下、恒例の花園禅塾の読経から桂しん吉さんの一席までノンストップの2時間。特別ゲストの満島ひかりさんの朗読のあと、祇園甲部芸妓・真生さんの聞き手を務めさせていただきました。


 江戸時代から“当たり前に”高いレベルの「おもてなし」を続けてきた京都の花街。日々のお稽古や挨拶回り、言葉遣いに装束。そして“一見お断り”をはじめとした、質の高い「おもてなし」のために培われてきたあらゆるマナーを通して、京都の花街が伝えてきた日本本来の「おもてなし」の心を探ろうという大ネタでした。
 
 他者といかに関係性を築いていくか。それは馴れ合いでは決してなく、時に厳しさを伴う調和の心。遊びも仕事もアホするときも、なんだって真剣な方がオモロいもんです。
 オリンピック決定以来濫用されている言葉について、何か考える補助線にはなったでしょうか。


 しかしながら真生さん。その美貌や語り口、気遣いや溢れ出る品位は、何しろ祇園甲部のトップランナーのひとりですから言うに及ばず、打ち合わせ時から内容の是非を率直に伝える姿、立ち居振る舞いからもマナーや伝統の世界にあっても自由に羽ばたかれているのがよく見てとれました。そういう方とのセッションは本当に面白いものです。

 革パンで30分の正座は想定外でしたが(笑)、打ち上げでのビールはこたえられないものでしたよ。次回は秋開催のようですのでそちらもどうぞお楽しみに。


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 「なんで緊張しないの」
 最近聞き手やパネラーを終えた僕によくいただくお声がけです。

 『リサーチや打ち合わせでの結果を飲み下して消化までする「準備」と、「これで失敗したらしゃあない」つまり「割り切り」の産物』そう答えたりしているのですが、思い返せば何度か手に汗握る経験があります。

 例えば先日の四国剣山縦走。スタート前の送迎バスにて、道悪や揺れのせいじゃなく我がのてのひらが震えていることに気付いた僕は、そびえ立つ深山幽谷が迫るにつけて、人任せの準備不足もあり「もしや身に余る経験なのではないか」と直感。実際2日目途中で敗退下山の苦い経験となったわけですが、大失恋した淀川河川敷、雪の京大合格発表だって、そういえばいつだって手が震えていた。「どうしようもない」圧倒的に厳然とした“事実”は実際にやってきます。

 でも「身に余る」と遠慮するから緊張が湧いてくる。横着せずに正面から挑めば、失敗したとてそれは「いい失敗」のはずです。







all Text&Photo K.Fujimoto